ラザロとバナナフィッシュは何が違う?MAPPA作品を深掘り

あらすじ・内容整理
記事内に広告が含まれています。

2024年に放送が始まったアニメ『ラザロ(LAZARUS)』は、制作発表当初から多くのアニメファンの間で「どこか『BANANA FISH』を思い出させる」と話題になっていました。両作を手がけたのは、今や国際的な評価も高いアニメ制作会社・MAPPA。さらに、キャラクターデザインには繊細かつ躍動感ある人物描写で知られる林明美氏が参加しており、ビジュアル面でも共通するテイストが見受けられます。

とはいえ、単なる「雰囲気が似ている」では片づけられない違いも確かに存在します。時代設定、ジャンル、物語の構造、登場人物の関係性──そのすべてにおいて、『ラザロ』と『BANANA FISH』はまったく異なる温度と手触りを持っています。

本記事では、両作品の表面的な類似点を起点にしながら、その奥にある物語の核心、作品が描こうとした人間像の違いと共通点について、静かに掘り下げていきます。

制作面での共通点|MAPPA×林明美の美学


『BANANA FISH』(2018年)と『ラザロ(LAZARUS)』(2025年)は、いずれもアニメーションスタジオMAPPAが制作を手がけています。MAPPAは、リアルな人物描写と緻密なアクション演出に定評があり、近年では『呪術廻戦』や『チェンソーマン』などの話題作を次々と送り出しています。

両作品のキャラクターデザインを担当したのは、林明美氏。彼女の描くキャラクターは、繊細な表情としなやかな動きが特徴であり、登場人物たちの内面を豊かに表現しています。『BANANA FISH』では、アッシュと英二の微妙な感情の揺れを、『ラザロ』では、各メンバーの個性とチームとしての一体感を、ビジュアル面から支えています。

また、アクションシーンにおいても、MAPPAの高い作画力が発揮されています。『BANANA FISH』では、銃撃戦や追跡劇がリアルに描かれ、緊張感を高めています。一方、『ラザロ』では、近未来を舞台にしたSFアクションとして、スピード感あふれる戦闘やハイテクなガジェットの描写が際立っています。特に、ジョン・ウィックシリーズの監督であるチャド・スタエルスキがアクション演出を手がけており、迫力あるシーンが展開されます。

このように、制作面における共通点として、MAPPAの高品質なアニメーションと林明美氏のキャラクターデザインが挙げられます。これらの要素が、両作品に共通する「緊張感」と「人間味」を生み出しているのです。

世界観と時代背景の違い|現代vs近未来

『BANANA FISH』と『ラザロ』──両作品が与える印象は、視覚的にはどこか似通っているようでいて、根底にある世界の「前提」は大きく異なります。それは、物語の舞台となる時代と社会の設計からも明らかです。

『BANANA FISH』は、1980年代のニューヨークを舞台にしています。摩天楼と雑然とした路地、銃声が鳴り響く裏社会。そこに生きるのは、少年ギャングたちのリアルな生と死。アッシュ・リンクスという存在を軸に描かれるのは、国家規模の陰謀と個人の尊厳がせめぎ合う物語であり、「現実にありそうな暴力」や「目を背けたくなる社会構造」がリアリズムをもって描かれます。

一方で、『ラザロ』は2052年の近未来を舞台にしたサイバーパンク的世界観。人類を救うとされる新薬「ハプナ」の普及により、一見平和と秩序が保たれた未来都市。しかしその裏には、命を奪う“逆の真実”が潜んでおり、主人公たちはこの巨大な欺瞞に立ち向かっていくことになります。世界観そのものが、「信じていたものが崩れ落ちる恐怖」と「見えない支配」に貫かれています。

このように、『BANANA FISH』が“現代に根ざしたリアル”を描いているのに対し、『ラザロ』は“未来に対する想像と警鐘”を含んだ世界を提示しています。前者は街の埃や傷の匂いが感じられるようなリアルさを、後者は清潔さの裏に潜む不気味さを、それぞれの背景に漂わせているのです。

物語の軸とテーマの違い|“生と死”をめぐる物語

『BANANA FISH』と『ラザロ』──表向きはまったく異なるジャンルの物語でありながら、どちらも物語の核には「生と死」にまつわる問いが据えられています。ただし、その問いの立て方と、描かれる死のかたちは、それぞれにまったく違う温度を持っています。

『BANANA FISH』は、薬物「バナナフィッシュ」をめぐる陰謀の中で、アッシュという若きリーダーが過酷な運命に抗おうとする物語です。そこに描かれるのは、「生きるとはどういうことか」「誰のために死ぬのか」という、個の尊厳に根差した問いです。アッシュのそばに寄り添う英二の存在は、「守りたい誰かがいること」が生きる意味になることを静かに示し、死が常に隣にある状況だからこそ、ささやかな日常の尊さが光ります。

一方、『ラザロ』は、人類全体を包み込む死の危機を前提にしています。薬「ハプナ」は人々を癒すどころか、5年後に死をもたらす罠であるという事実。それを知ったラザロたちは、人類の未来のために行動を起こします。ここでは、「個の死」よりも「集団の生存」に主眼があり、死の恐怖はより構造的で、抽象的です。

『BANANA FISH』が人と人との関係性の中で死を捉える作品であるとすれば、『ラザロ』は社会やシステムという巨大な構造に対する反抗の中で「死」を問う物語です。そしていずれも、「救い」が訪れるかどうかは語られず、登場人物たちが選んだ行動そのものに価値が置かれています。

つまり、どちらも“生と死”を描いています。ただし、それは誰かを「救う」ことが目的なのではなく、「なぜ、そうせずにはいられなかったのか」にこそ、物語の重心があるように思えるのです。

キャラクター性と関係性の描き方

キャラクターは、物語の感情の器です。その描き方が作品全体の印象を決定づけると言っても過言ではありません。『BANANA FISH』と『ラザロ』は、キャラクターの造形や、彼らの関係性の描写においても大きく異なるアプローチを取っています。

『BANANA FISH』では、アッシュと英二という、対照的な二人の青年が物語の中心に据えられています。アッシュは暴力と孤独の中で生き抜いてきた天才的なギャングであり、英二は日本から来た、ごく普通の心優しい青年。彼らの関係性は、恋愛という枠に収まらない「魂の触れ合い」のような繊細さを帯びており、言葉よりも視線や沈黙によって深まっていきます。

それに対して、『ラザロ』では、ひとりの絶対的な主人公ではなく、チームとしての「集団」が中心となります。ラザロのメンバーはそれぞれ異なる過去や技術、背景を持ち、それらが絡み合いながらミッションに挑んでいきます。個人の内面よりも、チームとしてどう機能するかが焦点となっており、感情の細部よりも、行動と言葉の応酬に重きが置かれています。

関係性の描き方にも違いがあります。『BANANA FISH』では、二人の関係の“間”を丁寧に描写し、心理的な微細さが物語を動かしていきます。一方、『ラザロ』では、価値観の衝突や目的の共有といった“チームダイナミクス”が主軸となり、スピード感のある展開の中で人間関係が浮き彫りになります。

つまり、『BANANA FISH』は「一対一の繋がり」の強度を描いた作品であり、『ラザロ』は「複数人の連携」のダイナミズムを描いた作品。どちらも“信頼”を巡る物語でありながら、その表現の角度は大きく異なります。

ビジュアルと演出の比較|“静”と“動”のMAPPA美学

MAPPA作品といえば、洗練されたビジュアルと高密度なアクション演出が特徴ですが、『BANANA FISH』と『ラザロ』では、その方向性に明確な差異が見られます。共通しているのは、単に「動きが派手」なのではなく、感情や物語のテンションと結びついた“意味のある演出”が貫かれている点です。

『BANANA FISH』は、全体的に抑制された色調と、余白のある構図が印象的です。街の空気感を写し取るようなロングショット、登場人物たちの横顔や後ろ姿を捉えるカメラワークには、感情の余韻が滲みます。特に、アッシュの表情や仕草に感情を預ける演出が多く、“静”の力で物語を動かしていく作品だといえます。

一方、『ラザロ』は近未来SFらしく、鮮やかな色彩とスピード感のあるカット割りが多用され、アクションの迫力に振り切った場面も少なくありません。ジョン・ウィックシリーズを手がけたチャド・スタエルスキ監督がアクション演出を務めていることもあり、銃撃戦や肉弾戦のキレは、まるで実写映画のような重みを持っています。スローモーションや視点切り替えを駆使し、視覚情報そのものが物語の一部として語られています。

興味深いのは、こうした「静」と「動」の対照的な演出のなかでも、MAPPAらしい“人物の眼差し”の描写がどちらの作品にも存在する点です。アッシュが英二に向けるふとした視線、ラザロのメンバーが仲間を見つめる目線──いずれも、言葉より多くを語るカットが織り込まれています。

つまり、表面的な演出の差はあっても、どちらも“人物の内面を見せる”というMAPPAの演出哲学は共有されているのです。それぞれの作品が、視覚を通じて「言葉にならない何か」を伝えようとしている姿勢は、共通する美学として確かに感じ取ることができます。

まとめ|『違い』の中にある『同じ熱』

『ラザロ』と『BANANA FISH』。制作スタジオ、キャラクターデザイン、そして“死を巡る物語”という表層的な共通点がある一方で、作品としての体温や語り口は大きく異なります。

『BANANA FISH』は、1980年代という時代の空気を纏いながら、一人の少年が暴力の中で人間らしさを取り戻そうとする物語です。静かに寄り添う誰かがいることの尊さを描いたその眼差しは、時に痛ましく、時に美しく、観る者の心にしずかに沈殿していきます。

一方、『ラザロ』は未来という仮構の中で、人類の命題を問うアクションサスペンスです。チームとして、社会の欺瞞と戦う群像劇には、信じることの困難さと、それでも抗う意志の美しさが刻まれています。スピード感のある映像と、容赦ない死の描写のなかに、確かに「人を信じたい」という熱が宿っています。

どちらの作品も、誰かを守るために、あるいは信じたもののために、自らを賭けて戦う人物たちの姿を描いています。その選択の一つひとつが、正解かどうかではなく、「そうせずにはいられなかった」という衝動に根ざしている点で、両作は深く繋がっています。

作品が語りかけてくる熱量は、手法も舞台も異なっても、きっと同じ場所に届こうとしている。だからこそ、両作品を見比べたとき、表面的な違いの先にある「なにか」が、そっと胸に残り続けるのかもしれません。

見逃した、と思っても大丈夫。

14日間のトライアルあり。
DMM TV
登録時に付与されるポイントがそのまま使えるため、試すだけでも得です!

公式サービスを利用するのが実は最も安全で快適な方法です