2025年の春アニメ『LAZARUS(ラザロ)』。渡辺信一郎が総監督を務め、MAPPAがアニメーション制作を手掛けた本作は、放送開始直後から“次元の違うアクション”として注目を集めた。
その中心に立つのが、主人公・アクセル。彼は単なるアクションヒーローではない。身体一つで構造物を駆け抜けるパルクールアクション、レスリング技を思わせる体術、そして無駄のない戦術的判断。全てがリアルタイムで噛み合い、視聴者の脳裏に焼き付く。
本記事では、アクセルのかっこいいシーンを10個厳選し、それぞれの演出意図や構造、作画の見せ場を丁寧に解説していく。キャラの魅力を語るファンの声と共に、“なぜこの男に惹かれるのか”を紐解いていく。
- 第1話:刑務所からの脱獄アクション──「生き延びるための12分」
- 第1話:ラザロチームとの初対面──“逃走”から“遭遇”へ
- 第2話:ビルからの飛び降り──「恐れのない自由落下」
- 第3話:敵の包囲網を突破するシーン──“動”と“静”のスイッチ
- 第4話:ヘリからの脱出シーン──「高度からの救出劇」
- 第4話:クリスとの連携アクション──“二人の呼吸”が作る戦場の音楽
- 第5話:ハプナの影響を受けないシーン──「異物としての存在証明」
- 第6話:敵の罠を逆手に取るシーン──“狩られる者”から“狩る者”へ
- 第7話:過去の回想シーン──「沈黙の記憶と失われた名前」
- 第8話:ラザロチームとの再会シーン──“帰る場所”がある者の戦い
- まとめ
- 記事内容の簡易表
第1話:刑務所からの脱獄アクション──「生き延びるための12分」
開幕早々、視聴者の鼓動を跳ね上げたのは第1話冒頭12分にわたる刑務所からの脱獄シークエンスだった。
アクセルは囚人服のまま、監視ドローンと警備兵に追われる状況から、壁を駆け、鉄柵を超え、配管をすり抜ける。彼の逃走ルートは、まるで都市構造そのものを味方につけたかのような立体的な動きで構成されている。
このシーンの肝は、“キャラ紹介”と“世界観説明”を一挙にやってのける演出にある。セリフはほぼなく、ひたすらアクションに徹する。その無言の12分が、アクセルという男の信念と、舞台となる世界の歪みを端的に伝える。
また、MAPPAの作画班によるキャラの重心移動やスピード感は、パルクール経験者からも「あり得ないリアリティ」と絶賛されている。アクセルのジャンプ一つひとつに重力と慣性が感じられ、単なるアニメ的演出にとどまらない身体性が宿る。
さらに特筆すべきは、カメラワークと編集の連携。脱出ルートの視点は常に切り替わるが、空間の把握は失われない。これにより視聴者は「迷わず走るアクセル」と同じ目線で世界を体験できる。
この冒頭のシーンは、シリーズ全体の空気を決定づける“視覚によるプロローグ”だ。
第1話:ラザロチームとの初対面──“逃走”から“遭遇”へ
脱獄直後、都市部の路地裏で展開される逃走劇。そのクライマックスでアクセルが遭遇するのが、謎の特殊部隊“ラザロ”チームだ。ここで描かれるのは、“無所属”だったアクセルが、物語の中核に接続されていく瞬間である。
この場面の演出は、アクションの“質”を一段階引き上げている。舞台は高架下の複雑な構造物群。アクセルは金属製の配管を滑り、柵を蹴ってジャンプし、建物の側面を使って移動する。対するラザロのメンバーたちも、一切の台詞なしに行動で個性を見せる。
中でも注目すべきは、“追う者”と“逃げる者”のカメラ視点が絶えず反転する演出だ。観る者はどちらに肩入れしていいか分からない揺らぎの中で、次第にアクセルに感情移入していく。
その中盤、廃ビルの屋上から地上へと滑り降りるカットは、スピード感・背景美術・キャラクター作画が三位一体となった神作画ポイント。特に、MAPPAの作画班が用いた“擬似手ブレ”の手法が功を奏し、まるでカメラがその場にあるかのような臨場感を生み出している。
演出面でも、ラザロの存在が単なる追跡者ではないことが伏線として描かれており、ここでの出会いが偶然ではないことが匂わされる。出会いの瞬間に“必然”を感じさせる演出構造は、渡辺信一郎作品の真骨頂といえる。
第2話:ビルからの飛び降り──「恐れのない自由落下」
高層ビルから地上へと飛び降りる――常識的に考えれば自殺行為だが、アクセルにとっては最適解。それを証明するのが第2話中盤のアクションシーンである。
追い詰められたアクセルは、選択肢として“跳ぶ”ことを即断する。高さ20メートルを超えるビルの屋上から、反対側の看板へと飛び移る際、重力加速度を伴う落下描写が徹底されている。スローを使わず、リアルタイムで一気に描写されるため、観ている側の心拍数も上昇する。
MAPPAの動画班によるこの一連の作画は、「背景とキャラの同時運動」という難度の高い演出に挑戦している。アクセルの落下中、背景のビル群が後方に高速で流れ、彼の衣服と髪が風圧で揺れる。この“落下のリアリティ”が、何より彼の身体性を物語る。
着地地点は、金属製の電光掲示板。アクセルは着地と同時に看板の構造を利用して回転し、落下の衝撃を流す。これにより、作画は単なるアクションではなく、「知性と身体能力が融合した運動」として成立している。
さらに、ラストのカットでアクセルがふと見上げる視線が、これからの戦いを暗示する。言葉ではなく、一連の動作に物語を語らせるのが、ラザロの持つ最大の美徳だ。
第3話:敵の包囲網を突破するシーン──“動”と“静”のスイッチ
第3話では、アクセルがラザロの支援なしで多数の敵に包囲される場面が描かれる。物理的に追い詰められた状況の中で、彼は決して焦らず、動きの“緩急”を武器に状況を打開していく。
最も特徴的なのは、アニメーションにおける“間”の取り方だ。敵が一斉に銃を構えた直後、アクセルは動きを止める。まるで“フリーズ”のように、その場に沈黙する。そして次の瞬間、一気に駆け出す。まるで時間が再び動き出したかのような演出は、静と動の落差によって緊張感を倍加させている。
作画上も、周囲の動きをスロー気味に処理しつつ、アクセルのみがリアルスピードで動く“速度演出”が施されており、このコントラストが彼の異質性と身体能力を際立たせる。銃撃をギリギリで躱しながら、壁を蹴って敵の頭上へと跳び、複数人を翻弄する流れは、戦闘アニメ史でも屈指の構成力といえる。
特に注目すべきなのが、敵の認識外からの攻撃という戦術を成立させている点だ。カメラアングルがあえて“敵側視点”に固定されているため、アクセルの動きが視聴者にとっても“死角”となる。これにより、観客自身が翻弄される感覚を味わえる。
シーン終盤で、敵の一人が呆然と空を見上げ、そこにアクセルが逆光で降下してくる演出は、視覚的にも物語的にも象徴的だ。「戦いの支配者は誰か?」を一瞬で理解させるカットだ。
第4話:ヘリからの脱出シーン──「高度からの救出劇」
続く第4話では、よりスケールの大きなアクションへと展開していく。ヘリコプターの外装にしがみついた状態から、アクセルが落下しかけるシーンは、彼の“運”と“信頼”が同時に試される場面となった。
ヘリから手が滑り、アクセルが空中に投げ出される瞬間のカットは、MAPPAの作画の真骨頂。背景の空と都市を高速スクロールさせながら、キャラの落下姿勢を正確に描き分ける技術は、単なるエフェクト処理では再現できない重力感を生む。
そして最大の見どころは、ドローンによる中空での救出という演出だ。機械的な無機質さと、命を繋ぐ最後の“希望”が交錯する瞬間。ドローンのキャッチ精度と、アクセルの反応速度の両方があって初めて成立するギリギリのアクション。
このシーンでは、重厚なBGMを一時的にカットし、風切り音とドローンの駆動音だけに絞ることで、命のやりとりの“生音”がリアリティを生んでいる。観る者の呼吸までもが静まる、静謐と緊張の演出だ。
着地後、アクセルは一切のセリフを発せず、ラザロメンバーに一瞥をくれるだけで場を去る。その背中に宿る無言の信頼と、自らの限界に届いた達成感。この“語らない余韻”こそが、ラザロの持つ最大の美しさだ。
第4話:クリスとの連携アクション──“二人の呼吸”が作る戦場の音楽
第4話後半、アクセルとクリスが共闘する戦闘シーンは、物理的な動きと心理的な信頼の両方を描く稀有な瞬間となっている。敵の拠点内部に侵入し、待ち受ける強化兵と交戦する流れの中で、この二人が見せる連携には“リズム”がある。
まずアクセルが正面から突入し、敵の注意を引きつけた後、側面からクリスが滑り込む。両者の動きには一切の言葉がない。それでも互いの“次の動作”を先読みするように、無駄なく連携していく姿が印象的だ。
この時の演出で特に秀逸なのが、“音楽と戦闘の同期”だ。戦闘シーン全体がジャズ調の即興音楽に合わせて編集されており、アクセルの蹴りとクリスの発砲がドラムやサックスのリズムに重なって響く。
MAPPAの作画陣もここで本領を発揮。キャラ同士の接触点や、武器の反動、足運びまでが細密に描かれ、戦闘というよりもまるで舞踏に近い印象を受ける。スローモーションやパースの切り替えも、単なるスタイルではなく、“音楽に対するビジュアルの返答”として機能している。
一つのハイライトは、アクセルが壁を蹴って跳躍し、クリスが背後の敵を撃つシーン。この一瞬だけで、彼らが戦いの中で築いた信頼と“共通言語”を視聴者に伝えることができる。
戦闘終了後、息を切らしたクリスに向かってアクセルが小さく頷く。この無言のジェスチャーが、二人の関係性の成熟を如実に物語る。台詞なし、音楽と構図だけで心の機微を描いたこのシーンは、ラザロの“対話の多層性”を象徴する場面である。
第5話:ハプナの影響を受けないシーン──「異物としての存在証明」
『ラザロ』における最大の謎であり、物語の駆動装置である薬物“ハプナ”。第5話では、このハプナの影響を受けずに動ける人物として、アクセルの“異質さ”が明らかになる。
ハプナは服用者の自我を抑制し、肉体を強化する薬として広まっているが、アクセルだけがその影響を完全に受け流している。そのことを示すのが、暴走した複数の敵を一人で制圧するシーンだ。
ここで特筆すべきは、戦闘そのものが“証明行為”として描かれる構造である。誰の命令でもなく、アクセル自身が自分の状態を確かめるかのように動く。これは彼の自己認識と生存本能が交差する瞬間だ。
MAPPAはこのシーンにおいて、照明のコントラストを極端に操作している。暴走者たちは目が赤く光り、肌は血管が浮かぶような質感で描かれる一方、アクセルの輪郭は影によって強調される。色調と作画で、彼が“別の存在”であることを印象づける演出だ。
この時、背景に流れるのは心拍のような電子音のみ。音楽が消されることで、観る者はより強くアクセルの“人ならざる”感覚に引き込まれていく。感情すら排した肉体の動きが、どこか機械的であるがゆえに恐ろしく、同時に美しい。
この一連の描写を通じて、視聴者は「アクセルは何者なのか」という問いを深く突きつけられることになる。彼の存在は、単なる主人公の枠を超え、世界の構造そのものに食い込む“異物”として浮かび上がる。
第6話:敵の罠を逆手に取るシーン──“狩られる者”から“狩る者”へ
第6話では、アクセルが仕掛けられた罠を逆に利用して反撃する場面が展開される。ラザロの世界では、力やスピードだけでは生き延びられない。“思考の速さ”が生死を分けるという現実を、映像と演出で如実に描いたシーンだ。
廃倉庫に誘い込まれたアクセルは、四方から展開される自動兵器と敵兵に包囲される。しかし、ここで驚かされるのは、彼が“最初からそれを読んでいた”かのような動きだ。わずかな物音、敵の位置、空間構造を瞬時に把握し、罠の中心にあった爆薬の起爆装置を利用して形勢を逆転させる。
このシーンの作画では、視線誘導と空間認識の技術が際立っている。MAPPAは画面内に複数の“奥行きレイヤー”を重ね、奥で起こっている出来事も同時進行で提示。観る者に“空間全体を掴ませる”作りがなされている。
さらに、アクセルが装置に接触する手の動きには、通常の動作以上の“ため”がある。爆破タイミングに合わせて敵を一箇所に誘導するという“物語の流れ”を、一つのジェスチャーで語るアニメーションの妙技がここにある。
そして爆破の瞬間、照明が一度すべて落ち、爆発の閃光で画面全体が“白”に染まる。この白は、情報を奪うと同時に、視聴者に“何が起きたのか”を想像させる余白として機能する。次に映るのは、瓦礫の中をゆっくりと歩くアクセルの姿。完全勝利を言葉ではなく、画面で証明する余韻の演出だ。
彼は常に受動ではなく能動で動くキャラクターであることが、ここではっきりと視覚化される。「罠にかかった」のではなく、「罠を操った」のは誰か?その答えが、この6分間のシーン全体に刻まれている。
第7話:過去の回想シーン──「沈黙の記憶と失われた名前」
『ラザロ』の世界において、過去は語られるのではなく、“沈黙の間”で感じ取るものとして演出される。第7話では、アクセルの過去を断片的に描く回想が挿入され、彼が“なぜ強いのか”という問いに対する感情的な手がかりが提示される。
回想の主な舞台は、廃墟と化した研究施設。そこでは子供時代のアクセルらしき人物が、実験用として扱われていた様子が描かれる。セリフはほぼなく、音声も環境音だけ。映像はセピア調に加工され、現在との時間的距離が強調されている。
この場面のハイライトは、鏡に映る少年アクセルが自分の名前を忘れているシーンだ。自身の存在が記号化され、“個”を奪われてきた記憶。ここに、現在のアクセルが持つ無言の“孤独”の根源が重なる。
MAPPAの作画はここでも光る。少年の顔は細部まで描かれないが、目の中にだけ強い光が宿っている。“描かないことで記憶の不確かさ”を表現する技巧だ。
また、ラストカットで現在のアクセルが同じ鏡に映る演出があり、過去と現在が空間的にも精神的にも重なる構造が用意されている。彼の行動原理が復讐や義務ではなく、“存在の回復”にあることが、観る者に静かに伝わる。
第8話:ラザロチームとの再会シーン──“帰る場所”がある者の戦い
第8話、物語の転機となるのがアクセルとラザロチームの再会シーンだ。これまで孤高に動いていた彼が、再びチームの中に戻る。この“帰還”は、単なる物理的合流ではない。“戦う理由の再構築”として演出されている。
シーン冒頭、焦土と化した戦場の中を一人で歩くアクセルの背に、チームメンバーの一人が声をかける。数秒の沈黙ののち、彼は振り返る。背景に流れるのはかすかな風音のみ。ここには、再会の歓喜も、感傷も、過剰な演出もない。ただ、確かな“確認”の視線だけが交わされる。
アクセルの表情もわずかに緩むだけ。しかし、そのわずかな変化にこそ、視聴者は全てを読み取る。MAPPAはここで、徹底して“目”と“背中”だけで感情を表現している。アニメーションの力を、台詞ではなく作画で証明する代表的なシーンと言える。
以降、再集結したチームでの戦闘が始まるが、その動きには以前と明らかな違いがある。アクセルは常に“先に出る”のではなく、“仲間とともに動く”という形に変化している。これは単なる戦術上の変化ではなく、彼の内面に起きた心理的変化が行動に現れている証拠だ。
戦闘中、アクセルが仲間の危機に即座に反応し、かばう動作に入るカットでは、これまで見られなかった“守る意思”が描かれる。孤高の戦士から、“帰属する者”への移行が、ここで初めて視覚的に示された。
戦闘後、ラザロのリーダーが「戻ってきたな」とつぶやくカットは、セリフの重さと演出の静けさが同居する名場面。その言葉に、アクセルは一言も返さずに微笑む。この1カットこそが、物語の“新たな始まり”を告げている。
まとめ
『LAZARUS(ラザロ)』において、アクセルは単なるアクションヒーローではない。彼の“かっこよさ”は、パルクールや肉弾戦といった身体能力の高さに加え、戦術的判断力、無駄のない所作、そして“語らない感情”によって成立している。
特に注目すべきは、MAPPAによるアニメーションの物理感と、渡辺信一郎監督の“間”の演出だ。スピードと緊張感を両立させつつ、視覚で心情を語る技術がアクセルというキャラクターの魅力を何倍にも引き上げている。
また、シリーズが進むごとに、彼の行動原理や過去が少しずつ明かされ、“何のために戦うのか”というテーマが深掘りされていく構造も秀逸。単なるスタイリッシュアニメではなく、重層的な物語とキャラクター造形があるからこそ、彼の一挙手一投足に観る者は心を揺さぶられる。
今後のエピソードでは、アクセルがどのように自身の正体と向き合い、ラザロという存在に何を見出していくのか。引き続き、その“静かな熱量”に注目したい。
記事内容の簡易表
| シーン | 話数 | 見どころ |
| 刑務所からの脱獄 | 第1話 | 12分間のパルクールアクション |
| ラザロチームとの初対面 | 第1話 | 高低差を活かした立体アクション |
| ビルからの飛び降り | 第2話 | 重力描写と反射神経の演出 |
| 敵の包囲網を突破 | 第3話 | “間”と“速度”の演出技術 |
| ヘリからの脱出 | 第4話 | ドローンによる救出劇 |
| クリスとの連携アクション | 第4話 | 戦闘と音楽のシンクロ |
| ハプナの影響を受けない | 第5話 | 異質さの作画と演出 |
| 敵の罠を逆手に取る | 第6話 | 思考と演出の融合 |
| 過去の回想 | 第7話 | 沈黙と記憶の表現 |
| ラザロチームとの再会 | 第8話 | 心理変化と帰属の演出 |



