電車に乗り、降りた先でふと見つけた風景に、思いのほか心を掴まれてしまう──そんな経験がある方なら、『ざつ旅 -That’s Journey-』という作品に、どこか身に覚えのある懐かしさを感じるかもしれません。
この作品は、主人公・鈴ヶ森ちかがSNSのアンケート結果をもとに行き先を決めるという、少し“ざつ”で、でもだからこそ予測不可能な旅を繰り返す物語。決まった目的も、観光名所のチェックリストもない。けれど彼女の旅路には、風の音や、知らない町の空気、そして「ただそこにある風景」と静かに向き合う時間が描かれています。
そんな『ざつ旅』の魅力を、現実の地に足を運びながら感じたい──。それが「聖地巡礼」としての旅です。本記事では、作品に登場する実在のモデル地のなかから、特に印象深い7か所を選び、それぞれの場所が持つ静かな魅力とともにご紹介します。
“ざつ”という言葉の裏側にある、自由で柔らかな旅の感触を思い出しながら、ページをめくるようにご覧いただければと思います。
1. 宇奈月温泉(富山県)|黒部峡谷の静けさに触れる

富山県の山あいに位置する宇奈月温泉。『ざつ旅』第3旅で、ちかが訪れたこの地は、黒部峡谷を抱える豊かな自然と、静かに湯気の立ちのぼる温泉街の風景が印象的に描かれています。
作中では、黒部峡谷鉄道のトロッコ列車に揺られながら、ちかが川の音に耳を澄ませ、山肌を流れる空気に触れる場面があります。派手な観光スポットではないけれど、何気ない風景の中に、旅の本質がそっと滲む。そんなシーンが、宇奈月温泉を舞台に丁寧に綴られていました。
実際の宇奈月温泉もまた、作品の空気感そのままに、訪れる人を静かに受け入れてくれます。川沿いを歩けば、岩肌を縫うように流れる黒部川の透明な水音が耳に残り、橋の上から眺める峡谷の深さには、少しだけ足がすくむような感覚すら覚えるでしょう。
温泉街には老舗旅館から日帰り湯まで点在しており、時間をかけて湯に浸かるだけでも、ちかのように「なんとなく来て、でも来てよかった」と感じる不思議な充足に包まれます。
トロッコ列車は春から秋にかけて運行しており、紅葉の時期には峡谷一面が燃えるような朱に染まります。列車の音、温泉の湯気、そして山々に囲まれた静けさ──『ざつ旅』が切り取った旅の余韻を、五感で確かめられる場所です。
2. 南魚沼市(新潟県)|雪景色と静かな旅路

『ざつ旅』第5旅で描かれた新潟県・南魚沼市。舞台となったのは、ちかが一面の雪景色の中をひとり歩く、冬の旅路でした。雪に沈む世界は、色も音もすべてがやわらかく、彼女の足音だけがかすかに響いている──そんな場面が印象的に描かれています。
作中では、魚野川沿いの風景や、小さな無人駅、雪に埋もれた田んぼ道など、観光地とは呼べない場所にこそ旅の実感が宿っていることが、淡々と、しかし確かに伝わってきます。ちかは特に「目的もなくただ歩く」ことを大切にしており、南魚沼の旅はそのスタンスが最も色濃く反映されたエピソードの一つです。
現地では、魚野川の静かな流れが町を縫うように走り、冬には視界のほとんどが白に包まれます。雪国特有の柔らかさと厳しさが混じり合い、そこに身を置くと、「旅」とは移動ではなく、風景との静かな対話であることを思い出させてくれます。
アクセスは上越線・六日町駅または浦佐駅が便利で、そこからローカル線に揺られながら町の中心部や郊外に向かえば、作中のような雪道や、のんびりとした車窓風景に出会えます。道中にある地元の食堂や小さな商店も、ちかの“ざつな旅”を追体験するのにぴったりです。
もし訪れるなら、冬。吹きつける風も、沈黙に近い町の音も、『ざつ旅』の静かな1ページを思い起こさせるはずです。
3. 那須烏山市(栃木県)|神社と石垣が語る歴史

『ざつ旅』第6旅の舞台となったのが、栃木県の東部に位置する那須烏山市です。東京からのアクセスもしやすく、日帰り旅の選択肢にもなるこの町には、ちかが訪れた神社や城跡がひっそりと佇んでいます。
作中では、八雲神社の鳥居をくぐり、苔むした石段を登る場面が印象的に描かれていました。旅のきっかけはどこか気まぐれでも、その足で踏みしめた場所には、どこかしら「歩かずにはいられなかった理由」が宿る。そんな物語の余白が、この土地にはあります。
また、ちかが訪れた烏山城跡には、かつての石垣や空堀の一部が今も残されており、静かに時を重ねてきた歴史の断片がそこかしこに漂っています。山の上から町を見下ろす構図も、彼女が何気なく撮った写真のように、日常と非日常の境目をぼやかしてくれます。
町全体には観光地特有の派手さはありませんが、それがむしろ『ざつ旅』の空気に近い。道端に咲く花や、神社の小さな社務所、地元の人が集う小さな市場──そうした“観光地未満”の風景こそが、ちかの旅をかたちづくっているように感じられます。
もし、あてもなく旅をしてみたいと考えているなら、この那須烏山市は、静かな出発点になってくれるはずです。何もない場所ではなく、「何かが静かにある場所」。それが、この町の魅力です。
4. 高松市(香川県)|八栗寺とうどん、土地の文化

第4旅で、ちかが訪れたのは香川県高松市。瀬戸内の穏やかな海と、讃岐うどんの文化が根づくこの土地には、八栗ケーブルで登る八栗寺が静かに佇んでいます。作中でも、ちかがケーブルカーに乗ってゆっくりと山を登り、八栗寺を訪れる場面が描かれました。
八栗寺の境内は、信仰と時間が積み重なった静けさに満ちています。賑わいを期待して来る場所ではなく、むしろ一人でふらりと立ち寄るからこそ味わえる「誰もいないこと」の贅沢がここにはあります。山の上から見下ろす街と海、その遠さが、旅の孤独をやさしく包み込んでくれるようでもあります。
そして、香川といえば讃岐うどん。ちかが訪れた「うどん本陣 山田家」は、実在の名店であり、地元民と観光客のどちらからも愛される一軒です。彼女が何気なく食べたその一杯が、実は何よりも深く「土地の記憶」として残っていく──そんな感覚は、巡礼者にもきっと訪れるでしょう。
ことでん八栗駅からケーブルカーまでは歩いてすぐ。乗り継ぎの待ち時間で小さな駅のベンチに座っていると、自分も『ざつ旅』の世界に紛れ込んだような、不思議な浮遊感に包まれます。
香川の旅は、風景と味覚、そして土地に流れる信仰の時間──三つの静けさを同時に体験できる、じつに『ざつ旅』らしい場所です。
5. 下諏訪町(長野県)|高台から眺める町の余白

長野県・下諏訪町は『ざつ旅』第28旅で登場しました。ちかが訪れたのは、諏訪大社・春宮を中心に据えた、静かな温泉街と古い町並みの残る場所。作中では、ちかが高台から町を見下ろすシーンが象徴的に描かれており、その視点が、旅と記憶の関係をそっと語っています。
諏訪大社は、日本有数の古社でありながら、どこか素朴で、敷居の高さを感じさせません。境内に漂うのは、長い時間を受け入れ続けてきた場所だけが持つ、独特の重さとやわらかさ。ちかもまた、無理に「意味」を見つけようとせず、ただそこにある風景と時間に身をゆだねていました。
現地を歩けば、石畳の坂道や軒の低い建物、湯気の立つ共同浴場といった、昭和の名残がそこここに残っています。観光地化されすぎていないその雰囲気は、まさに『ざつ旅』が描く“日常のすぐとなりにある非日常”そのもの。
特に、ちかが立ち寄った高台からの風景は、実際に訪れてみると、その静けさと広がりに息をのむはずです。眼下に広がる町は決して大きくはありませんが、それがかえって、自分の立ち位置を確認させてくれるようにも感じられます。
諏訪湖を望みながら、誰かの旅をなぞるのではなく、自分の中に静かに沈んでいくような時間。下諏訪町は、そんな“内なる旅”へと繋がる場所です。
6. 天橋立(京都府)|日本三景に見る“物語の余韻”

『ざつ旅』第5旅の終盤、ちかがたどり着いたのは、京都府宮津市にある天橋立。日本三景のひとつとして知られるこの地は、観光地としての知名度とは裏腹に、ちかの旅の中ではとても静かに、印象深く描かれていました。
作中では、ちかが天橋立ビューランドから“股のぞき”をし、まっすぐに続く砂州を眺めるシーンがあります。観光ガイドに載るような場所であっても、『ざつ旅』の目線はあくまで「ちか自身の旅」であることを忘れません。彼女にとっての天橋立は、有名な風景というより、「その場に立って、風に吹かれて、ただ見渡す」ための場所でした。
実際に訪れてみると、天橋立は想像よりもはるかに静かで、歩くほどに距離感があいまいになっていく不思議な地形です。両岸に海を感じながら松林の中を歩くと、時間の感覚がゆるやかにほどけていくような感覚を覚えます。
また、宮津駅から天橋立駅までのローカル線の風景も、作中の“旅の途中”をそのまま体現するような趣きがあります。車窓から見える漁村や海の青さ、地元の人々の姿。それらすべてが、物語の余韻をさらに深く染み渡らせてくれるでしょう。
天橋立を訪れることは、ただ名所を巡るのではなく、「知っていたはずの風景を、自分の感覚で見直す」行為にも近い。『ざつ旅』はそんなまなざしで、ここを描いていました。
7. 鹿児島市(鹿児島県)|桜島を前に立ち止まる旅

『ざつ旅』第25旅でちかが降り立ったのは、九州・鹿児島市。旅の終わりに近づきながらも、何かがはじまるような静かな空気を感じさせる回です。象徴的に描かれていたのは、遠くに聳える桜島の姿と、街のあちこちに設けられた「降灰指定置場」の存在でした。
このエピソードでは、火山とともに生きる人々の時間の流れが、ちかの歩みと重なって描かれています。何か大きな目的があるわけではない。ただ、知らない土地に立ち、風を受け、そこにいるということ。それが『ざつ旅』にとっての「旅」であり、鹿児島という場所の空気と不思議に呼応していました。
市内に点在する歴史碑や、桜島を望む海辺の公園。ちかが立ち寄った「大いに語る碑」も実在し、その前に立つと、自分もなにかを語りたくなるような衝動が静かに芽生えます。そして、桜島フェリーでの移動や、街に漂う硫黄の香りもまた、土地の「日常」を旅人にそっと渡してくれるのです。
鹿児島の街は、災害と共存する覚悟を抱えながらも、日々の暮らしを続けることの尊さを教えてくれます。それは、ちかのように「立ち止まりながら進む」旅にとって、最も深く胸に残る風景なのかもしれません。
旅の終わりには、観光地としての鹿児島ではなく、「ひとりで歩いた時間」が強く印象に残る──そんな余韻をまとった場所です。
アクセスと巡礼のヒント|ざつ旅をより深く味わうために
『ざつ旅』の魅力は、観光名所の華やかさではなく、旅先での「偶然」や「沈黙」によって形づくられていると言えるでしょう。だからこそ、聖地巡礼もまた、ただスポットを訪ねるだけでなく、作品の“間”や“揺らぎ”を感じる工夫を取り入れると、より深く味わうことができます。
移動手段は「鈍さ」を味方に
ちかがよく利用していたのは、各地のローカル線や鈍行列車。急がず、乗り換えを繰り返しながら目的地へ向かうその姿勢は、「旅そのものが目的」というこの作品の思想に通じています。移動に時間がかかってもいい、むしろ“その時間”が旅を旅たらしめる──そんな余裕を持つことが、巡礼の第一歩です。
訪問のタイミングを意識する
例えば、南魚沼は冬に訪れることで、ちかと同じ雪の静けさを体感できますし、宇奈月温泉は紅葉の時期に峡谷の深さがより際立ちます。『ざつ旅』における“季節”は背景であると同時に、旅の語り部でもあります。巡礼するなら、物語と同じ季節を選ぶことをおすすめします。
観光地で「立ち止まる勇気」を
人気スポットでは、人の流れに巻き込まれがちですが、あえて立ち止まり、風景と時間に身をゆだねてみてください。八栗寺の境内、那須烏山の城跡、高台から眺める下諏訪の町並み──そうした場所に流れる“声なき物語”に、耳を澄ます旅が『ざつ旅』らしさに繋がります。
撮影より、記憶に残す
スマホを構える前に、まず一度、風景を「目で見る」「肌で感じる」時間を大切にしてみてください。ちかの旅も、写真ではなく「実感」で綴られていました。特別な演出を求めなくても、目の前にある風景がじゅうぶん物語になる──そのことを信じさせてくれる作品だからこそ、巡礼もまた、自分の感覚で歩くことが大切です。
まとめ|“ざつな旅”が教えてくれるもの
『ざつ旅 -That’s Journey-』は、何気ない旅のなかにこそ、人生の深さや自分自身との対話があることを静かに示してくれる作品です。聖地巡礼という行為も、ただ舞台をなぞるだけではなく、「なぜちかはこの場所を選んだのか」「なぜ、ここで立ち止まったのか」と想像しながら歩くことで、旅そのものが少しずつ、自分の記憶の一部になっていくのだと思います。
旅の途中には、退屈な時間も、道に迷うこともあるでしょう。でも、『ざつ旅』はそれらを「無駄」とは言いません。むしろ、それこそが旅の輪郭を形づくると教えてくれます。聖地巡礼を通して感じる小さな違和感や静かな感動は、ちかの旅がそうであったように、確かにわたしたちの中に残り続けるのです。
観光ではなく、探訪。計画ではなく、漂泊。『ざつ旅』が描いたのは、そんな“ざつな旅”の豊かさでした。そしてそれは、どこかへ出かけるすべての人にとって、かけがえのないヒントになるはずです。
ほんの少しだけ、立ち止まってみませんか──その一歩が、物語の続きを連れてきてくれるかもしれません。



